2014年04月11日

母校へ

久しぶりに母校、豊田高専へ。
校長先生と環境都市工学科の先生方に会ってきました。先生方は半分くらいはまだ変わらずに残っていましたので、思い出話も、いい話ばかりではなく、触られると痛い話ばかり。とても公に言えませんが、よくこんなこと覚えているなぁということまで、突っ込まれてしまいました。

でも何を言われても、僕の政治の原点は、ここでの学生会活動。当時1000万円以上の学生会予算を、学生会執行部が予算を作り執行できたんですが、それだけのお金を扱うのに、みんなが無関心だったことに疑問を持ったことがスタートです。そしていろんな学生会改革を地味にやりましたが、「こうよう祭」という僕の時に変更した文化祭の名前がまだ使われていたり、学生会室の入口に貼られている布きれも、僕の時に作ったもの。今、どんな運営をしているか分かりませんが、思いが少しでも残り、そこからいい変化をしててくれていたらと願っています。
そして僕のいた「環境都市工学科」とは土木工学を学ぶところであり、環境問題や都市計画も学びました。土木工学はまちづくりの学問であり、その根本にあるのは、どういう社会資本、いわゆる道路や上下水道、駅や堤防などを整備するか、人が今より安全に、安心して暮らせる社会をどう作っていくかという技術を学びます。
とある先生に都市計画の主流を聞いたところ、人口減少時代は向かうにあたり、コンパクトシティにどうやって街が変革していくかだとおっしゃっていました。まさにこれからの政治課題です。

学生のころは、全く勉強しなかった僕ですが、あらためて、この学科でなにを学んだのか、そしてこれから何を学ばなくてはいけないのか、先生方にご指導いただくために、学校に通わなくてはいかんなと思った今日の学校訪問でした。

母校へ


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