› 草地ひろあき@磐田市長の「和顔愛語(^^)」 › 政治活動 › 【磐田市の行事情報】磐田市平和祈念式

2020年08月15日

【磐田市の行事情報】磐田市平和祈念式

本日は、終戦から75回目の8月15日。

磐田市では、過去の戦争の惨禍に思いを致し、平和を希求する想いを次世代に継承するための「磐田市平和祈念式」を開催し、私も出席をしてきました。
磐田市平和祈念式


例年ですと8月5日、6日、広島平和祈念式典への「広島平和記念式典小中学生派遣団」の派遣、その前後での平和教育により、未来を担う子どもたちに、戦争と平和を感じてもらう取り組みを行い、今日の式典で中学生代表が「平和への想い」を語るといういい流れができていましたが、本年は、コロナ禍での工夫をこらした式典と平和教育の内容になっていました。

今日の式典でも、市内の中学生たちが数十名が献花にきてくれていました。
平和への想い」は、地元中学の代表1名の発表でしたが、遺族代表の追悼の言葉が素晴らしく、どんな想いを感じたのか、聞いてみる機会があれば、ぜひ聞いてみたいと思いますし、できたらこの思いを持続的に感じてもらう機会を造り続けていかなくてはいけません。遺族代表の言葉は、戦没したお父様の骨が自宅に帰ってきたときの様子を、5歳のときながら克明に覚えていて、式典で骨の入った箱を頂戴し、箱を開け、中には紙切れ一枚だったというときの家族の情景を、臨場感あふれる様子で語ってくださいました。また静岡市で空襲の際墜落し亡くなったアメリカ兵を弔った方のエピソードもお話しくださいました。戦争経験者世代が令和になり、一人、また一人と、彼岸へ旅立たれることを思えば、毎年のように、こうしたお話を聞くには、今しかチャンスがないと、そう受け止めています。本当にいい式典でした。

私の祖父は、岡山の田舎から、戦争によってこの地域で暮らす縁を得ました。祖父が最後に所属したのは牧之原台地にあった「大井海軍航空隊」だったと聞いていますが、先日たまたま新聞を見ていた時、記事を見かけてその方と連絡を取り合い、同釜会(OB会)の名簿をいただきました。本当に祖父の名前も書いてあり、確かなことだったと感じたのと同時に、磐田市内でもうただ一人だけ、名簿に名前があった方のところに伺ったところ、つい先日お亡くなりになられたばかりだということでした。あと半年早ければ話ができましたが、、、という言葉に、やはり戦争の話を聞いておくには今しかないということを痛切に感じたばかりです。

【磐田市の行事情報】磐田市平和祈念式


磐田市では、「核兵器廃絶平和都市宣言」を定め、子どもたちにも平和教育の入り口として、広島への平和記念式典の派遣、そして平和祈念式の開催を実施し、これは大変いい事業だと思っています。令和となり、いよいよ戦争経験者の声が近くから聞かれなりつつある今からこそ、平和を考える取組みは価値があると思います。

戦争とは、様々な定義がありますが、自国の正義と他国の正義のぶつかり合いが戦争であり、まずは自国の正義を相手に押し付けることが入口だと思っています。これは、家庭でも職場でも学校でも、どこでもいえることだと思います。

有史以来、日本国内だけでも数多くの戦争が起こり、多くの命が失われてきました。私たちが忘れてはならないことに、明治以降、日清戦争以降の戦争は国対国だけれど、戊辰戦争以前は、国の中での同じ日本人同士の争いであり戦争であり、それを私たちは歴史の授業で、無機質に習っているということです。関ケ原しかり、源平合戦しかり、今の大河ドラマの「麒麟がくる」の物語も同じです。当時を生きてきた日本人にとっては戦国武将のドラマではなく、民百姓の日常が奪われていたこと言うことも忘れてはならないと思います。

自分の正義も主張するが、相手の正義も認め、折り合いをつけていくこと。
きれいごとだけでは、政治もうまくいかないことは承知していますが、私が歴史や哲学から学んでいることは、正義の意味を考えることです。私たち人間は、正義をぶつけ合うと戦争になるということ、ここだけは忘れてはならないと、あらためて平和への祈りを込めている8月15日、終戦の日の昼下がりです。

暑い日が続きます。お身体、ご自愛ください。

【磐田市の行事情報】磐田市平和祈念式



同じカテゴリー(政治活動)の記事

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
【磐田市の行事情報】磐田市平和祈念式
    コメント(0)